国学院大学法学部横山実ゼミ


英語での原稿執筆の勧め

(この随筆は、西村春夫先生古希祝賀文集から転載しました。)

 西村春夫先生は、国際派の犯罪学者である。しばしば、国際会議において研究発表されているし、また、海外との共同研究に積極的に参与されている。国際派であるためには、少なくとも、英語で原稿を書かなければならない。文部科学省は、海外発信の必要性を強調して、最近では、外国語による業績を高く評価するようになっている。しかし、日本の研究者、特に社会科学者の中で、英語の原稿を書いて、国際的に活躍する人は少ない。この随筆では、私が初めて英語で原稿を書いた体験をお伝えして、若い研究者に、国際的な舞台で積極的に活躍することを奨励したい。

 私が英語で報告原稿を書いたのは、1981年のことである。当時の私は、定職がなく、非常勤講師として3つの大学で教えていた。その数年前に、現在のポーランド社会学会会長であるアンジェイ・コイデルさんが、都立大学の千葉正士先生のもとで、日本の法社会学を研究していた。そのときにアンジェイさんと交際したのであるが、彼が日本を去る際に、彼が所属している国際社会学会リサーチ・コミティ29(逸脱と統制の社会学)に入るようにと勧められた。私は、その勧めにしたがって、すぐにリサーチ・コミティ29に加入した。当時、私は、日本犯罪社会学会の庶務委員をしていたので、学会が催す大会についての記事を英語で書いて、リサーチ・コミティ29のニュースレターに投稿した。それを見たインド系アメリカ人の研究者が、Academy of Criminal Justice Sciences の大会で彼が組織する部会において、報告しないかと、私を誘ってきたのである。

 私は、1975年に身体障害者の団体である「空飛ぶ車イスの会」が主催したカナダ旅行に、ボランティアとして参加した(それが始めての海外旅行であった)。その後、カナダで接待してくれた障害者たちが、日本に旅行するという計画を立てたので、その受け入れの責任者になった。そこで、英語で手紙を書き、障害者旅行団の団長のビル・フォスキットさんと、旅行の段取りについて、打ち合わせをすることになった。その手紙は、たどたどしいものであり、たとえば、3人称単数の場合の動詞に、sを付け忘れるというような具合であった。ビル・フォスケートさんやアンジェイさんなどとの手紙のやり取りを通して、英語の構文や言い回しを、徐々に習得していった。

 そのような状況から一歩踏み出すために、私は、インド系アメリカ人の申し出を受けて、アメリカでの会議で報告することを承諾した。そこで、日本の少年非行について分析して、初めて英語で原稿を書いたのである。その当時は、第3の非行のピークを迎えようとしていたのであるが、その分析を通して、私は、警察の補導・検挙活動の積極化によって、軽微な犯罪を犯した少年が、より多く犯罪統計に計上されたために、第3のピーク現象が生じていると判断したのである。

 原稿の下書きを仕上げて、英文タイプで清書した。私の家は、タイプ学校を経営していたので、英文タイプを習得していた私は、夜間には、教室で英文タイプを教えていた。タイプ技術を持っていたので、私は、英語の原稿の本文および表を、自分でタイプ打ち出来たのである。

 その後は、パソコンによるワープロが普及した。はじめは、NEC用の英文ワープロのソフトを使って、冬休みに大学に通って、ワープロ打ちをしたりした。そのソフトは、欧米のソフトとは互換性がなくて、アメリカのジャーナルに投稿するときには、打ち直ししなければならなかった。また、しばしば、トラブルが生じ、画面が硬直したり、強制終了になったりして、苦労して打った文章が消えたりした。そのようにして、英語の原稿を書き続けてきたのである。今では、ワープロ機能は高度に発達し、マイクロソフト社のワードの場合は、スペルや文章の構成のチェックを、自動的に行ってくれる。そのために、英語での原稿の執筆は、非常に容易になっている。若い研究者は、これらの情報機器を使いこなして、積極的に英語で原稿を書き、国際学会で報告したり、国際的なジャーナルに投稿したりしてほしい。

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